ハリウッドの気になる歴史。映画の都はニューヨークだった?

世界中の誰もが知っていると言っても過言ではない映画の都ハリウッド。

ハリウッドヒルズ地区に設置された「HOLLYWOOD」のマークは超有名ですよね。

西海岸に位置していて気候も安定している為、アメリカの中でも人気になっている観光地です。

そんなハリウッドですが、当初はまったく映画など作られてはいませんでした。当時のアメリカで映画が流行っていたのは、はるか東のニューヨークやシカゴだったのです。

ニューヨークから正反対のハリウッドまで映画の都が移るまでに、様々な紆余曲折があったのは余り知られていません。

今回はそんな映画史の歴史の一端を紹介してみたいと思います。

西海岸ロサンゼルスに位置する映画の都ハリウッド

アメリカの西海岸、カリフォルニア州ロサンゼルスに映画の都ハリウッドがあります。

ロサンゼルスの街中にあるので、本当に西海岸ですね。

グーグルマップで見るとアメリカの西の果てにあるのが良くわかりますね。

今でこそ西海岸にあるハリウッドが映画の都となっていますが、昔は映画の都と言えば、アメリカの東も東、ニューヨークだったのです。

アメリカで映画が流行したのはニューヨークだった

アメリカで最初に映画が流行したのは、ニューヨークとシカゴでした。

流行し始めた当初(1800年代後半)はドキュメンタリーやニュース形式の映画が中心で、現代のような映画が作られ始めるまではまだ時間がかかります。

ところがある時期を境に、アメリカの映画産業は大きな変化を迎えます。

きっかけは、ロシアから移り住んできたユダヤ人コミュニティでした。

映画作成に心血を注いだユダヤ人

1880年台、東欧に住んでいたユダヤ人はロシアからの迫害(ポグロム)から逃れるため、大挙してアメリカに押し寄せました。

それまでにもアメリカに移住していたユダヤ人がいましたが、この時の移民は非常に数が多く、英語も片言しか話せない人がほとんどでした。

そんなユダヤ人達が生きていくための糧を得るために狙った産業が映画業界だったのです。

彼らは当時の映画とは異なり、客を呼べるエンターテイメント性の高い映画を作り始めました。

新たな映画会社を設立し順調に客足を伸ばしていたのですが、そこに立ちはだかった一人の男がいます。

それが、かの有名な発明王トーマス・エジソンだったのです。

映画スタジオの前に立ちはだかった発明王エジソン

発明王エジソンは様々な発明をしていますが、実はキネトスコープと呼ばれる映画カメラも発明しています。

エジソンはその発明を元に撮影や上映の特許を独占していました。

映写機を使って映画で儲けているユダヤ人の映画会社の存在を知ったエジソンは、

[chat face=”suit1.png” name=”エジソン” align=”left” style=”type1″]おう、誰に断って映画流しとるんや。払うもん払ってもらおか~[/chat]

あらゆる映画製作に対して高額な特許料を要求。支払わない相手を告訴しまくったそうです。

ユダヤ人たちは高額な特許料を支払えるはずもなく、支払いから逃れるためにスタジオを捨てて、ニューヨークを飛び出すことになります。

新天地を求めて西へと旅したユダヤ人

ニューヨークを飛び出したユダヤ人たちは、エジソンの監視の目を逃れる為に西へ西へと旅をします。

そうしてたどり着いたのが西海岸ロサンゼルスだったのです。なんと直線距離にして約4,000kmを移動した事になります。

当時はまだ交通機関が発展しておらず、主な長距離移動は汽車でした。ロサンゼルスにたどり着くまでには相当な苦労があった事が伺えますね。

気候が安定していて映画撮影に向いた地理的な特徴を持つロサンゼルスにたどり着いたユダヤ人たちは、そこで映画作りに特化した街づくりを始めます。

それが今の映画の都、ハリウッドの始まりなのです。

ビッグ5の創業者は全てユダヤ人だった

ハリウッドで興った映画配給会社はいくつもあり、その中で大きく成長した5つの会社を指して「ビッグ5」と呼ばれました。

・当時のビッグ5

  1. パラマウント
  2. 20世紀フォックス
  3. ワーナーブラザーズ
  4. メトロゴールドウィンメイヤー
  5. レイディオ キース オーフィアム エンタテインメント

今でもおなじみの映画配給会社ですね。(5のRKOだけ倒産してしまいましたが…)

このBIG5は全てニューヨークから移り住んできたユダヤ人によって作られたのです。

ハリウッドにはマックス・ファクターも参加

突然話が変わりますが、マックスファクターってご存知ですよね?

ファンデーションやマスカラなどのメーカーとして有名ですが、実は「マックスファクター」は人名で、ポーランド系ユダヤ人である創業者、マックス・ファクターの名前をそのまま社名にしたのが今まで続いているのです。

マックス・ファクターも家族と共にアメリカに移り住んだ移民の一人。

美容師であったマックス・ファクターは、ハリウッドに参加し、女優の肌をメイクアップする技術を開発。

映画を通してマスカラやリップブラシのようなアイテムが一般女性に広がるようになりました。

この頃から映像を通して、化粧というものが徐々に広がっていったと言われています。

映画の都ハリウッドを作り上げたユダヤ人

映画の都ハリウッドを作り上げたのは、迫害を逃れて安息の地を求めて遠くヨーロッパから移住してきたユダヤ人でした。

英語もわからず、自らの才覚で生きる糧を得ようと映画に目をつけ、もがき続けた結果があの映画の都、ハリウッドとなったと言えるのかもしれませんね。

もしエジソンが特許料の支払を求めて告訴していなかったら、今の時代にハリウッドは存在せず、ニューヨークが映画の都になっていたかもしれませんね。

まとめ

  • 1900年初頭、映画の都はニューヨークだった
  • 移住してきたユダヤ人が映画を作り始めた
  • エジソンが特許料を求めて告訴
  • 支払から逃れる為ユダヤ人は西へ西へ旅した
  • ユダヤ人が辿り着いた西の果てがハリウッドだった

ハリウッドができた理由にこのような歴史背景があったのは面白いですね。今回紹介したのは映画史の一端ですが、面白い逸話があればまた紹介したいと思います。

少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。